神様も本当の姿で生きたいと願います

神様も本当の姿で生きたいと願います

神様に愛されてお悩み解決&本当の自分で生きる幸福への水先案内
木内恵美子です。

この記事は
こちらの続きです。
まだお読みでない方はリンク先記事をお読みいただいてからお読みください。

先の記事で書いた

結界が張ってある神社の祠

辿り着き、一見小さいながらも大切にされた美しい神社でした。

しかしその一角に旦那さんが入れなかった洞窟の様な祠もすぐに分かりました。

そこへ近づけば確かに通常ならば絶対に近づかない陰の気配とエネルギー

そしてそこの主が放つエネルギーはとても強く
憎悪にも、悲しみにもまみれていました。

しかし確かに弁財天様の気配なのです。
(江の島、鎌倉、その姉妹である弁財天様方には可愛がっていただいており、時折足も運ぶので)

祠の入り口に立ち 私の側に居る稲荷のルラハ(ヴィラハムのお嫁さん)には
外で待つ様に言い

旦那さんとヴィラハムにも外で待っててもらう事にしました。

中に入るには危険過ぎたからです。
(のちに旦那さんにも「よく一人で行ったね」と言われましたがここへ連れて来たのも旦那さんなのです)

しかし私は一人ではなく。
大神様とアマデウス様は勿論共に参りました。

私一体が立ち向かえる方ではない方である事。

そして、アマデウス様 大神様は私の守護でありお二方の意で来たからでもあります。

私の側にいる稲荷 ルラハは京都 伏見稲荷からも神格の認定は受けていますがまだ神様としては若いので。
(稲荷は眷属と言われる事もありますが、遣いのものもいますが稲荷自身 きちんと神様の方もいます)

万が一を考え、外で待ってもらっていました。

それほど、危険も感じる場所でもありました。

祠に入り、正面には尼の像

私がイメージで見、感じた八百比丘尼でした。

その像自体にも神様が宿り、数百年この地で生きて来たと。

祠を進むと、振り返れば魂が取り殺される
戻ろうとすれば入り口の門が閉まるのではという感覚も受け

進むしかありませんでした。

大神様、アマデウス様がついているという信頼。

そして何かあれば外の旦那さんが引っ張りだしてくれるだろうという意思

祠を進み、左手に少し奥まった所に弁財天様の祭壇があり
そこに本来のお姿

蛇の様でもあり、龍の様でもある大蛇の様なお体に人に近いお顔と乱れた髪

ゆっくり品定めする様にお越しくださり

尼の像の所に座られました。

お話は大神様がしてくださり断片的に聞こえたことは

この地を守りながらも本来の姿が人に恐れられ、望むまま尼の姿で身を隠した事

しかしその時人から受けた恐れや憎悪もまた、数百年かけ膨らんでいったこと

そしてこの場所自体が恐れられる事もあり、結界を貼りごくわずかの者しか入ることを許さなかったこと

それは代々神社と弁財天様をお守りでしてきた者達だけ

自分を恐れた人への恨み
そしてその姿で創った大神様への恨み

大神様は「許してほしい」と言いました。

恐れられる悲しみや、神が神としてありのままいられない事
孤独を感じたせつなさ

様々な感情が私にも伝わって来ました。

そして私の方を向き

「醜いと言われる悲しみが分かるか」と仰られました。

私が一度でも目をそらすか、恐れるそぶり
逃げようものならば(魂を)食い殺した所だったと言われました。

本来弁財天様は美も司る神様

本来の姿でも、美として奉られる神様なのです。

しかし、人の価値観で醜いとされ恐れられたこと。

昔、人魚と言われ恐れられたのは弁財天様のお姿でもあったそうです。

そこで私は、頭に巻いていたスカーフをとり
坊主の頭を見せました。

弁財天様も髪は女の命であると考えていると感じたので、私はそれを手離しているとお伝えしたかったのです。
外見の美しさには捉われていないとお見せするために。
(普段は驚かれるのでスカーフを巻いていますが)

神様相手にはどんな取り繕った言葉も通用しません。

真意など簡単に読まれるからです。

(のちに分かったのは、私を坊主にさせていたのはこの為でもあった様です。納得していただくために)

そして私は弁財天様に
「美しいです」とお伝えしました。

龍の様なうろこ。大蛇の様な体。
見開いた眼。乱れた髪。

しかし、心底美しいと思いました。
その心も含めて。

なので心から「美しいです」と。

その時暴れ狂うように弁財天様はもがかれ、
「本来の姿で奉られたい」と仰られました。

人に望まれた尼の姿ではなく。

本当の自分で。と。

そこで私が弁財天様についていた人の邪念の浄化(大神様方はそうしたことはしないので)

尼の姿からの解放。

その尼像も昔、技術を与えた若者が弁財天様が人に恐れられない様にと良かれと思い
神様のご神体像として作ったそうですがそれが弁財天様には

本来の自分では無い苦しみになってしまっていたそうです。

そして祠内の浄化を行った所

「外の若者を呼んでほしい」と言われ、旦那さんの事でした。

先ほども来たのだけれでも、返してしまったと。
感謝を伝えたい、と。

一瞬、旦那さんも取り殺されるかとも思いましたが先ほどの気配とは全く違うので旦那さんを呼びに行きました。

背を向ける怖さはありましたが、信頼するしかありません。

なすがままです。

そして私はまだ巫女として役割があるので大神様方も簡単に死なせないことは分かっているのでなんとかしてくれるだろうと。

旦那さんも今度は衝撃に打たれず、無事入れました。

ヴィラハムとルラちゃんも恐る恐る入ってきましたがさすがに緊張していましたが。

弁財天様は「先ほどの事を詫びたい。そしてこの者(私)を連れて来てくれたことを感謝する」と

そして旦那さんに御礼として
「そなたの良くいるところは死も近い。死の陰に負けぬ様 延寿(健康に生きられる様)の守りを与えよう」と旦那さんの魂の首に数珠の様なお守りをさげてくださいました。

私はよく、様々な神様方から薬や邪気斬りの剣。冠や頂いていたので
(ドラゴンクエストの装備みたいだと旦那さんに言われていましたが。笑)

「自分も欲しい」と言っていた旦那さんは初めて頂く事が出来ました。

そして旦那さんも土地の感覚が先ほどとは明らかに違うと感じていました。

結界も解けたからです。

そして本殿に周 り

本殿にて正式に神様として奉られる手続きの代行をおこなったり
(近隣神様方の御許可と大神様の認証が必要なので。近隣の神様方も皆様知っている方やお世話になっている方ばかりなので話は早かったです)

弁財天様が弁財天様としてこの土地、そして近隣を見守られる事の感謝をお伝えし

正式に本来の弁財天様となられ奉られる事となりました。

その時、旦那さんが

「屋根の方にいる?」と言われ

私は正面に手を合わせ顔は下に向いていたので。
(それは神様への礼儀なので)

弁財天様は旦那さんが感じた通り、屋根の上から飛び出る程のお姿と
本来の大きさに戻られていました。

祠の中ではせいぜい2メートル程

しかし、本来のお姿は小さいながらも立派なお社をゆうに超える程の大きさでした。

旦那さんは最近、適格に神社に神様がいるかいないか。
どんな神様かというのは感じられる様になってきましたが

きちんと位置まで分かる様になったんだなという安心感と

本来、それだけの方が小さな祠の中で
しかも仮の姿で数百年(人の時間ですが)生きられていた苦しみと

そう追い込んでしまった人の業

そして、本来のお姿になられた安堵と喜びだけではない

改めて、人が神様を恐れず生きられる世になればいいなと思いました。

こう書くと大神様からは
「ならお前が書けや」と突っ込まれるのですが。

(それももっともですし)

最近は休日もなんだかんだと神様方と関わっていますが

明日も新しい神様お迎えの為の準備のため鎌倉に行く予定です。

先日 以前から知っていた龍の子が、あるお店にいたのですが前を通ったら
稲荷のルラハから鎌倉に行くと聞いたらしく
「お供して構いませんか。鎌倉の弁財天様の所に行きたいのです」と来たので

事情を聴くと、側に居た方から離れ元いた場に帰りたいと。

きちんと奉られる事もなく、気づいてもいただけないのでと。
(ある程度、霊体や神様の使いは見えるそうですがそれ以上になると見えないそうで)

感謝をされないと生きずらくなるのでまだ若い成長期の子は離れる時もあります。

しかし一度鎌倉の弁財天様に許可をいただく必要があり、勝手に行く訳にはいかないと。
(関東の弁財天様、山派生の龍神様は江の島の龍神さん、弁財天様が管轄していますが今は娘にあたる鎌倉の弁財天様が仕切っているので)

ルラハが鎌倉の弁財天さんは仲が良く、私がなんとかしてくれると言ったらしく
ついていきたいと。

断るわけにもいかず、大神様もその人から離れる事は許可したので
今は我が家で一緒に居、明日一緒に行くこととなりました。

鎌倉は私にとってもパワーチャージ出来る場で
鎌倉 弁財天様や佐助稲荷は可愛がっても頂いています。
(佐助稲荷は山の奥に数対稲荷がいるのみとなりましたが)

今まで使用していたパワーストーンや扱っているお店の石が私には弱くなってしまっていた中
(私自身のパワーが強いので上回る石でなければ効力はないので)

大神様が教えてくれたとても強く、良い石を扱うお店もある程。
(石にうとかった旦那さんもその石を持った時、エネルギーを感じた程。
そして元気になるからと、持ちすぎたら体がかゆくなるという。笑
様々なネタを提供してくださいます)

石も相性で、強すぎるものは怖く感じたり良い効果以上をもたらす事もあります。
なのでパワーストーンとして定着していますが、本来簡単に扱うべきとは言えません。

昔は石の気にあたるという事もあったそうです。

出回っているものはそこまで強いものは滅多にないのでアクセサリーとして楽しめますが
やはりパワーがあるものもあるので。

しかもその石屋さんが昨日分かったのが以前旦那さんと京都に住んでいた際

良く通い、お気に入りだった石屋さんの会社だったことが分かり。

名前が違かったので分かりませんでしたが、私が京都に買付に行こうかと考える程
とてもいい石を扱っているのです。

都内にもお店がある様ですが買う場所のエネルギー、街のエネルギーの質なども影響するので鎌倉まで足を運びます。

神様のお手伝いやご奉仕もしますが、通常は

人が本当の自分で生きる為の水先案内

自分を偽り、周囲の望む様に生きている方も少なくありません。

そうした方々がどうぞ、本当の自分で生きられます様に。
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emiko

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