神様方が人に望むこと   一歩ずつ行う大切さ

先のブログで

NO NAMEという宇宙の神様 役割でいうと

「エンペラー」というお話を書き

その中で

 

木星を統治している木星トップの神様

アマデウス様の言葉で

 

先に繋がっていた宇宙そのものである「キング」と

エンペラーであるNO  NAMEは

「役割が違うのです」ということを書いているのですが

 

それを書いたころ

2カ月前には

私自身、まだこの

「役割が違う」ということを「理解」していませんでした。

(2カ月経ち、理解できたのでそれは順次お送りしていきたいと思っておりますが

順番にしか出せないもので)

 

 

 

適切にいえば「理解できていなかった」

 

「役割が違う」という

その言葉の意味を。

 

ただ、アマデウス様はそれ以上は教えてくださいませんでした。

 

答えを言うことは簡単です。

 

しかし、仕えるものは

「自身で答えを見つける力」も必要であり

それが「できる」と信じてくださっているから。

 

宇宙の神様方は

託してくれているのです。

 

やり遂げてくれるだろうと。

 

なのでヒントはくださっても、答えは教えてくれません。

 

ご相談者様のほうが、丁寧に「答え」を教えていただけます。

 

答えを教えないのは

何も考えない、ただ言われる答えを待つだけの人形を作りたいわけではなく

自ら経験し、自らそこに進んでいき自ら答えを導き出せる<力>を持つものを育てたいから。

 

それは巫女に限らず

ご相談にお越しくださる方にも

 

答えは伝えても、そのスタンスはあるので

自ら、魂を感じ 自ら選択していく力は身につく様に誘導します。

 

それが私の巫女としての役割である

「水先案内」「道引」です。

 

自分が進むために指針や策を求めることは

エネルギーチャージや癒し

進むための答えを求めることなどは

<頼ること>

 

それは許されています。

 

成長を促すうえで

「最善」だからです。

 

しかし、ただ与えられるだけを望む。

自ら掴む気はない。

自身で進む気が無い。変わりたくないけれども良くなりたい。

自身の都合の良いものだけを望む

 

誰かにやってほしい。自分は楽でいたいは

<甘え>

なので神様方は与えません。

 

それは「最善ではないから」です。

 

変わらずとも与えられると思えば、人は変わろうとしません。

 

つまり「成長しません」

 

自ら進もうとしないものに与えても

やはり進みませんのでそれも「意味がありません」

 

自身の都合だけで望むものは、

自身に都合の悪いものは受け取らないのでやはり

「成長しません」

 

成長を促せない。または見込みのない

「与えても無駄になるもの」は神様方は与えません。

 

無意味になるものは、神様方は与えないのです。

 

神様方が与えるものはどんなものでも

「最善」だからです。

 

人が「良い悪い」「幸 不幸」と判断しているだけで。

自身の望む都合の良いものだけでは、魂は成長しません。

 

まして自身が望むものが「最善」とは限らないからです。

 

人の創造を超えた「最善」を神様方は与えてくださいます。

 

しかし、変わろうとしない。

進む気のない方は、そうした「最善」を受け取る力が弱いです。

 

自身が望んだものではないから。

自ら動く気がなければ、チャンスも掴めません。

 

待っているだけで、チャンスはそう来ません。

 

一歩踏み出し、掴みに行く者が先に掴むからです。

 

自身の望んだものだけ受け取るのでは

想像を超えたものを、受け取る方法がわからず

待つだけでははいつ来るか分からず

 

受け取ることにも慣れていないからです。

 

常に最善を尽くし進んでいると

選択する力を身につけていると

予期せぬことも、受け取れるようになります。

 

それは急にできるものでもなく

いかに、日ごろから「意識しているか」でもあります。

 

その基礎があるか無いか。

自ら「選択できるようになること」

 

感じる力

解釈できる力、をつけてもらうこと。

 

そのために「魂を磨くこと」

それが<進化>であり

 

<成長のかなめ>だからです。

神様方に近づくため

 

魂を、いずれ神様方の元に戻すために。

 

神様方にもステージがあり異なりますが

上へ、上へと行ってほしいのです。

 

宇宙の唯一のルール

「愛」を知るためにも。

 

 

NO   NAMEがこられ、その後も様々な言葉をくださり

<真理>や<本質>で答えてくださるその言葉が

一言に全てがつまっており

 

しかし、それは私も

<受け取る側>にも相応の理解力と経験

無垢に受け取るだけの<クリアーな状態>が必要であり

<魂を磨く>とはそうしたためにも必要であります。

 

 

それは、NO  NAMEとまではいかずとも

自身の魂や様々な神様方と繋がる時にも。

 

NO  NAME の紹介ででた

アルース  「裸石」でいなければ

間違った解釈や、意図を的確にはわかりません。

 

そこに僅かでも<思い込み>や

<自身のフィルター>があれば

そこで歪んでしまうのです。

 

ただ、「ありのままを認める」

いかに無垢に、向き合えるか

自身の価値観やフィルターを通してではなく
それが
「愛」の一歩だからです。

kiuchiemiko