神様の愛

神様の愛とは。儚く美しいものか。または・・・

宿命・運命・神様からのお言葉で「本当の自分」で生きる幸福に導く
スコーンシール木内恵美子です。

神様の愛。

言葉だけで言うならばとても美しい。

まるで水辺に咲く、しとやかな花の様に。

しかし神様の愛はそんなに綺麗事ではありません。

「アイドルはこうだ!」くらい偶像です。

スコーンシール
私、木内恵美子は神様と共に生き早20年以上。

スサノオさんが宿っていた石に触れ手が痺れたり
人生の軌道修正の為全財産奪われるなど
一見「ついてない」と思える事が起きていても
神様が「ついている」からこそ起きている事

実際に関わり、そしてそれも
「巫女という本来の役割を果たしてほしい」という
神様方の想いも知っているからこそ言えます。

なので私は綺麗事は言えません。

理想や他力本願、綺麗事や上辺だけを知りたいならば
スコーンシールのブログは読まない方がいいし、
スコーンシールには来ない方がいい。

自分に都合のいい言葉だけや
癒してくれるだけの言葉は
「現実から目を逸らしているだけ」です。

そして甘い言葉程、自分を失うのです。

スコーンシールは「本当の自分になっていただく場」
なので、地に足つけて自力で歩いて頂く術をお伝えします。

相談に来られた方が
「図星すぎて痛いです」
と痛い所まで伝えますし、振り返りたくない過去まで
引っ張り出す事もあります。
なので時に「覚悟して来てください」と伝えます。

だって嫌な過去も、視たくない現実も、
自分の性格の嫌な所も
それが「本当の貴女」ですから。
まず自分の「本当の自分」に気づく所から始まります。

スコーンシールは神様の思想
概念、神様の感覚で動いています。

神様方には「いい」「悪い」という基準はありません。

全ての要素が「貴女という人格」なので。

神様の愛とは
「ありのまま認め尊厳する事」

極端に言えば
「核兵器創った君も認め尊厳するよ」
「戦争を起こして、やめない君も認め尊厳するよ」

という事。

極端にと言いましたが、実際これが神様方のスタンスです。
だって神様はそんな不完全な魂も
自分達の分身だから。
そして不完全だからこそ、人間に生まれて来たのですから。

旦那さんの寝顔が許せない
彼氏の服のセンスが許せないとか
自分の顔のパーツのここが嫌とか
自分の性格のここはいいけどここが嫌とか

人は全てを認める事は難しいです。
(恋愛で盲目になっていれば許せるかもしれませんが)

神様は「それもすべて貴方だから私はそんな貴方も愛しています」
という心構え。
(たまにお説教もしますけどね)

神様の様に出来たら、人はわざわざ人間に降りてきて
寂しい想いや辛い事を経験する修行は必要ありません。

神様は人が身勝手で傲慢で、
自分勝手なのを知っています。

だって神様方がより神様となる時
神様方の不要な部分を禊いだものが
「魂」

傲慢や、身勝手や、暴力的や、
わきまえない心など

それが魂の正体。

その時点で綺麗なお話なんて出来ません。

だけども神様達は自分から出た分身。
自分達のダメな所を持って行ってくれた存在だからこそ
「全てありのまま愛している」のです。

そして、そう産んでしまったからこそ
少しでも自分達に近づけさせる為
数千年かけて様々な経験をさせ

魂を磨かせるのです。

傲慢な魂ならば傲慢さを捨てさせられる経験を
させられます。

思いやりを知らない魂ならば、人の思いやりに触れさせ
「思いやりは素晴らしい」と体感させます。
しかし平凡な中では思いやりに気づけないので
敢えて、苦境に立たせ思いやりの有難味を感じる
シュチュエーションを創ります。

神様はここまでします。

それは思いやりや優しさ、愛を知ってほしいから。

数度産まれ、磨かれた事のある魂は
磨かれた状態で肉体に宿るので
産まれながらにして優しさや思いやりや備わっています。

才能も継がれるので
産まれながらの天才と呼ばれる方は
前世で同じ経験をしているので魂にインプットされています。
なので魂に「経験」が宿っているのです。

良くカウンセリングでも伝えてきたのが
「他者を思いやれないのは若い魂」
「他者を思い、愛を知っているのはそれだけ魂が生きて来たからですよ」
とお伝えしていました。

私が仕えている木星神アマデウス様に言われた事があります。
私が「巫女を辞めたい」と言った時。

「ならば百年でも千年でも待ちましょう」と。

私、死んじゃいます。

それでも神様は「辞めたい」という私も
認めてくれるのです。

無理強いはしないのです。

自ら「やりたい」と思うのを待つのです。
なにせ本来魂にはやりたいと思う様に宿命でインプットされているので。

地球を司る宇宙神 大神様(特に名前も無いのでこう読んでいます)
からは「万年反抗期」と言われる巫女としての私なので

神様方にしたら「やりたくなるまで待ってましょ」という事。

それでもやるべく、様々な後押しはされ今に至り、
現在はやはりずっと愛してくれている神様方に感謝していますが。
(京都で知らされる出来事もあったので)

神様方はいつだって
「人はそういう生き物なんだよ」と
見ているのです。

そして必要な時にはサポートも願いも叶えてあげる。

だけども基本「見守る」存在。

成長する子供を遠くから見守る母の様な存在なのです。

甘やかす事が自立の妨げになる事。
学びにならない事を分かっているからです。

人は経験した事しか学べません。
それは魂もです。

なので数千年かけ何度も生まれ変わり、
経験を通し 、魂を成長させ磨くのです。

愛のみの魂へと。

そこへ導くのが神様の愛。

emiko

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