思い込みて怖いですね

「思い込み」て怖いですね。

まことに「思い込み」とは

世界を狭くし
相手を適切に見ることができなくなり
自身をまた、窮屈にさせることだなとつくづく感じます。
不安 恐れもまた

「思い込み」であったりします。

 

 

 

神様 魂 宿命 運命の専門家 ご相談

本当の自分で生きる幸福に導くご案内
巫女 木内 恵美子です。

 

 

 

私の中で残っているものが
あるご相談者さまが来られた時に
小六さんについて

 
(小六さんのことももう4年 かけておらず
小六さんファンの方 お待たせしております。

我が家にとっては大切すぎるのと

小六さんからも大きなたくさんの学びをいただいていたので

書くことができずにいました。)

小六さんを見て

「連れてきているんですか?」と聞かれたので
「住んでいます」とお伝えすると
ご本人も自覚がないであろうくらいに
怪訝さを出された方がいました。

それは「ここはサロンで私が通っている」という

思い込みをされていたから

ゆえに「小六さんだけ住んでいる」と受け取られたと

魂からもわかりました。

 

「小六さん、連れてきているんですか?」と聞かれることは度々あるのですが
「住んでいます」

というと
「小六さんだけですか?」と驚かれたりするので

「さすがにそれはなく、自宅なんです」というと納得していただけますが

 

さらに「生活感ないですね!」と驚かれたりするのですが

「サロン」と思い込んでいただけるほど

 

生活感なく、作っていますので。
引っ越し当時も2年で引っ越す予定の仮住まいのつもりでしたが

 

サロンを行うことは前提で

サロンとし、部屋を作っていますので
それは当初から旦那様も了承してくれていましたし

むしろ旦那様も「来てくださる方に喜んでいただけるように」と考えてくださっていて
創ってきているので

それは来年の新居も同じくです。

生活感が無いと感じていただけることは良いことなのですが。
怪訝さををだされた相談者様は

「住んでいる」と聞き
それ以上 確認することはなく
「ここは通いのサロン」という思い込みの中
住んでいると聞き

 

なので
「小六さんだけ住んでいる」と
「思い込まれた」

 

 

しかし、私もその時にそれ以上弁解もしませんでした。

 
その瞬間は私の脳では
「ここに住んでいて、小六さんも常に一緒に住んでいる」
というのが前提の

「住んでいます」なので

まさか、「小六さんだけ住んでいる」と思われているとは脳は思えなかったのです。

私の中でそもそもそんな考えがないので。
私にとっては小六さんと「一緒に住んでいることが当たり前」なので

しかし、あとになり
その方の感覚や心がわかっているので

時間差で
「あ、小六さんだけ住んでいると思われている」と感じました。

 
しかし、もうあえて弁明のご連絡もしませんでした。

 
小六さんの記事を読んでくださっていれば

旦那さんも小六さんと一緒にいたり

(しかも旦那さんもどれだけ小六さんを大切にしているか)

 

こんなにリラックスしてくれます。

 

自宅であることもわかるようになっています。

(それでもわからない方もいるかと思いますが)

なにより、

その方の中では

私は小六さんをサロンに置いていく方と認識されたのだなと。

 
私も、マンションの一室にウサギを一羽で置いていく様な方は嫌です。笑

 

しかし、それ以上私も

ご連絡をしてまで思い込みを変換していただこうとはしませんでした。

 

 

私自身 「ここは住まいでもあり、小六さんも一緒に住んでいます」という
ことが当たり前であり

それが「思い込み」としあったことで

相手もどこかそう認識しているだろうという
思い込みが発生し
「説明不足」になってしまったなと反省するところであり

学びでしたが。
一方 その方の中で

もし、小六さんを大切に思ってや気にかかってならば

「小六さんだけ住んでいるんですか?」という言葉が出たと言えます。

しかしそこまででなかったのはそこまでご興味がないことと

思い込みがそれ以上には勝らなかったということ。

 

 

その方にとって

わたしは
「うさぎをマンションに置いていく巫女」という思い込みが定着したということです。
わたしの中では、

そう思われたのならばそれでいいや。と。

 
気づいた時には

「小六さんをそう思われるなんてショック」
(マンションに一体でなんて)と思いましたが

 

小六さんに申し訳ないなと思いながらも

さすがに小六さんにはタケミカヅチ様という武神様が宿っていますので

 

全く気にすることもなく

 

ましてそれ以上に私や旦那様からも
お越しの方々からも愛をもらっているのをわかっていますので。
私の愛は「愛が重い」と度々言われたので

最近はソッと、遠巻きにしたり
見過ぎると殺気?を感じ起きてしまうので

こっそり見たり。

私自身が「うさぎ一体でマンションに置いていく巫女と思われた」ということは

もう、弁解もしなくていいかという方が強く
(一応メールで 小六さんは大切にしていますよとお送りしましたが
きっと誤解は解けていないなとわかるのでもういいかなと。)

その方の「思い込み」を尊厳してしまいました。

きっとその方がご相談に来ることはもうないかと言えます。

それもその方の「選択」ですし
確認せずに「思い込みで判断する」というのも

また、その方の選択と宇宙の神様はみなし

仕える巫女である私も、同じ考えなので

そうみなします。

しかしそれは、私や宇宙の神様とのご縁も遠のきます。

そうした「思い込みのズレ」によって

縁は遠のくことも

切れることもあります。

しかし、宇宙の神様

そして仕える巫女である私は
「そっか。その方はそういう思い込みがあるなのだ」と

認め、それ以上踏み込むお節介もしません。
時折、それでも「お節介」をやく場合もありますが

それはよほど宇宙の神様方が
縁を持っていなさい。

サポートを受けなさいと選んだ方です。

思い込みて、

それだけ「損」をするんです。
あと一歩確認していたら。

怪訝に感じても

「本当にそうなのか」

確認していたら
私は
「小六さんだけなんてありえません。
私も一緒にここに住んでいるんです」とお伝えしました。
それをお伝えしたところで縁が離れる切れる方は勿論おられます。
神様が縁を繋げるか繋げないかですし
私自身、常にステージをあげていますので。
しかし、少なくとも誤解は解けたと言えますし
その誤解で縁を離すことはなかったかと言えます。

それて、とてももったいない。
人間関係でも同じことです。

第一印象は確かに大きいですが

相手を良く知らないうちに

「こういう方なんだ」と思い込んでしまったり

逆に

「この人はいい人」と思い込んでしまうのいかがなものかや
男性なんてこんなもの
女性だからこう。
あの人はこういう人なのだろう。

上司だから

部活だから。

ゆとりと呼ばれる世代だから。
など、様々な「思い込み」という
フィルターを通して「世界」を見ていると

クリアーに相手や物事は見えません。

思い込みを外し
どれだけ相手を知ることができるか
どれだけ世界を見ることができるか
「自分はこうだから」なんていうのも

思い込みです。

自身を小さな枠に押し込めているだけ。
その方が「安全」
「傷つかない」と
思い込んでいるから。
しかし、その「安全」

「傷つかない」すら
思い込みかもしれませんよ。

実際はそれでも傷ついていたりして。

しかし傷ついていないと

「思い込む」ことで自分を保っていたり

しかし、傷は癒えていないので
いつか、それで疲れてしまったり

傷だらけになってしまっていたり。
魂を拝見すると我慢や思い込みで自身を抑え
たくさん傷ついている方は多いです。
しかし「自分は大丈夫」と思い込んでいるだけで。

巫女も

かなり

「思い込み」のイメージで見られます。
それは私にはかなり窮屈で

しかしどこか

その「望まれる巫女でいよう」としていた自分にも気づき

それが息苦しいほどと気づき

その枠は外してきました。

しかし、それをまだ知らない方には

知っていただかなければ私という存在は認められませんし

巫女の能力は最大限生かせません。
ご相談にお越しの際も

お伝えすることに

「想像を超えていました」

「目からウロコです」

「後頭部を殴られたような衝撃です」と言われるほど
「思い込み」なんて軽く超え

壊していきます。
それは宇宙の神様の行うこと

発想

思考
采配は

「人の想像なんて楽に超えているから」です。
人の「思い込み」という小さな世界になんて収まりません。
そんな宇宙の神様に仕えている巫女ですので
私も「世間一般的な人間でも」
良くイメージされる

「思い込みの中の巫女」でもございません。
聖人君主のごとく物静かな生活でということもなく

私は小学生からRockが好きで
ビートズルのようなロックではなく

ディープパープルやリンキンパークなど激しめのものです。
(わからない方はすみません)

しかもRock好きになったきっかけでもある
ディープパープルの「Burn」という曲
ひととき タマホームという会社のCMで
一番大好きな部分が
「タマホーーム」と使われていた際には

嬉しいような、なんとも言えない複雑な気持ちでした。笑

いまも自身を奮い立たせる時には
ハードロックだったり
バイオリン奏者でも
デイビットギャレットさんという好きな方はクラシックもありますが
ロックのものだったり

クラッシックすらロックのようにしてしまうのが格好良く

音楽は様々好きですが

クラシックよりもジャズのビックバンドや
ラテン系
ダンスミュージックなど
巫女のイメージとは
全く異なるんです。
(巫女のイメージがそもそもどんななのか定かではありませんが)
巫女になったからといって
変わらないものも多く
それが「私」です。

時折メールも

ロックを爆音(きちんとイヤホンはしていますので周囲にご迷惑はお掛けしません)
で聞きながらメールいたします。

私の魂が喜び
鼓舞するものを、わかっているからです。
それらを抑え込んでまで

「巫女らしく」とは思いませんし

神様もそんなことは言いません。

私という存在を愛してくださっていてるからです。
そもそもロックと洋楽で育ち、邪道な生き方と呼ばれてきた
(学校の先生にも友人にも過去に言われましたから)
私を宇宙神様仕えの巫女とし育てたくらいですから。

そもそも巫女になることが宿命付けられていた中で

そこまでに邪道と呼ばれる人生を与えたのもまた
神様で
それら全てが「人を知る上で必要だった」と言われていますので
やはり私は過去も誇りに思っていますし

それで良かったと認めているので
女王様時代も楽しかったぁ、と時折
思いも馳せますし

時折、またしたいなぁ。と思ったこともありますし

(さすがにそれは欲に走ることなので許さないので)

しかも私の場合
個人の嗜好としての内容はその世界でも一般的ではなく

(お仕事では一般的なものを行っていましたが。しかし好きなものだけ)
相手も「死」を覚悟するもので
そこまではする方はごく限られていました。
なので仕事ではもちろんできませんし

お互いがそこまで望むパートナーを見つけることも難しいものでした。
しかし私は運良く 趣味嗜好の合うパートナーにも出会い
(やはりそれも与えられたいたとわかりますが)
そのプライベートのパートナーには
弁護士さんの元
もしその方が死んだ場合

私が罪には囚われない書類を作成してもらいました。

家族からなどの起訴も一切不履行となるように。

相手も死んでも本望(むしろそれで死ねるならば幸福)という方だったので。
すでに一般的ではない
SMの世界ですら「一般的」ではなかったんです。
私の本質にそうした残酷さもあるということが
巫女とし必要
あったことも確認できましたし

死を知る上で
今、それらを行うことはありませんが
やはりご相談者様にも生まれ変わっていただく際には

一度「死」が必要なので
言葉やなどは選んでも

「死」を扱えることと

死を知っていることが必要でした。

心身魂で。

そうしたこともあり
巫女になったからといって
聖人君主のごとく 真っ当な正当な道を歩もうとは思いません。
邪道すらも
神様の創った世界
神様方は邪道も必要と考えておられ

そしてそれさえも「愛している世界」と言います。
人が「真っ当」と思い込んでいるのは

人が描く「小さな世界」に過ぎないということを
身をもって経験し

そしていまも、そんな「小さな世界」に囚われ
苦しんでいる方を

散々みているからです。
人が描く世界がいかに小さいか。
それがどれだけ窮屈か。
なので私は「イメージ通りの巫女」でいるつもりも

なるつもりもありません。

なれないんです。
いまさら。
そもそもがホステス キャバ嬢
女王様 バツ2という経験をもち

プロフィールにもそれは書いており
他も様々経験しました。

書いていないことも多々ありますので

いずれ少しずづ出していこうかという気にも最近なりましたが。

世間一般的な生き方をしておりませんので

一般的な巫女になることもなく
そして、宇宙の神様に仕えるのもまた

一般的な巫女ではなれません。
一般的な巫女さんは
陽ならば陽のみ

陰ならば陰のみ

死ならば死のみ

魔ならば魔のみなど

「一つの専門」になります。

そして魔ならば

黒魔術 白魔術など

どちからです。

陰も陽も 死も魔も一人の巫女が扱うというのは

いままで無かったそうです。

なので宇宙の神様方も

肉体をもったまま

どこまで持つか、試行錯誤であったようです。
いわば私は実験台です。
とくにこの4年は。

一般的な巫女さんとは異なり
そして「普通」ではなりきれない世界です。

一度気が狂わなければ
そしてその上でそこを生還しなければなれないからです。

魔には魔以上になり

死にも死以上の存在になり
陰には陰以上の闇を知らなければ

全てを扱うことなどできません。
油断すれば「のみこまれ」終わるからです。
人格を失い。

巫女らしい巫女さんを望むならば
私のところには適していないかと。

(巫女さんらしい巫女を望んでいるという方はいませんでしたが)

生活も

「巫女さんは嗜好品もとらないのでは」
「お菓子なども食べないですか?」など

聞かれることもありますが
禊中にはそうした時もありますが
常にそうしているわけでもありません。
巫女はコーヒーなど嗜好品や食べ物も聖人君主の様な生活と思われがちですが
自身で理性コントロールできるものは許されていますし
(タバコ お酒など中毒性の高いものやセックスなどは禁止ですが)
お肉も食べることは許されていますし
神様方も食べるので

命は命で繋いでいるという考えなので
感謝し、尊厳を持って食べるならば

唯一食べことは 許されている命を奪うことです。

食べないのに命を奪うことは罪ですし
粗末にすることも、ならば食べるなとはなります。

神様方も嗜好品好き

お酒好きな神様も
チョコ好きな神様も
お肉好きな神様も

旦那様の元職場にいたある死神さんはタバコ好きだったり

甘いもの好きな神様も多く

神様方も嗜好品は好きなので
巫女もある程度は許されています。
基本 健康的で律する部分もありますが
ファストフードを食べることもありますし
(それでも元々食べないので年に1、2回あるかないかですが)
お菓子も食べますし

最近はまた葉巻を吸いたいなと感じ始め

それは中毒性はないから良いよと大神様(地球全ての神様のトップ)から許可をいただいたり
(葉巻はタバコと違い中毒成分であるニコチンが少ないので中毒性は少ないんです)
それが許されるのも
「試練の山場」を超えたからなのですが。
鍛錬中 課題の最中では極力削がれますし

禊中にはさすがにコーヒーもやめていました。

ある程度、自身が出来上がったから許されることと

もう、欲に飲み込まれないだけの状態になっていると

判断されているからなので
ただ、巫女さんはこうなのだろうというものも

「思い込み」です。
神様方が霞を食べて生きているわけではないので

仕える巫女も野菜だけとか、仙人みたいな暮らしをしているわけではありません。笑

それで欲にのまれ、肉欲で動くくらいならば
巫女としては失格ですが
巫女が巫女としては最善を尽くしていけるならば良しとされており

コーヒーもリラックスや健康維持に役立つ面もあるので
それならばOKとされているので。

それが中毒や依存になるならば
巫女をやめるか、コーヒーをやめるかとなりますが。

巫女て、どんなイメージなのだろうと

時折感じます。
しかしそれも「イメージが作り出した思い込み」です。
それは本来の「私という巫女」を認められることではありません。
なぜそういうイメージが持たれるのか

仏教のお坊さんのイメージや

修行や僧のイメージから来ているのかなとおもいますが

それか仙人?と思いますが
私はそうした「巫女さんはこういうもの」と教わったことも
神様方から言われたこともないのでわかりませんでした。
私の中で「巫女はこう」というものがなく
ただ、「やるべきことをやってきた」
神様方の指示の元、動いてきただけなので。
結局

「巫女てこういうもの」というのも

「人が作り出したイメージ」の
思い込みなのだなと感じます。

神様のイメージも

「人の都合」が強く反映されていたり
古事記などの影響もあるかと言えますが

古事記は「フィクション」と大神様(地球全てのトップの神様)は言いますし

人が思う「神様らしい神様」は私も

数千の神様を知っていますがそうお見かけしたことはありません。

神様は皆 個性的で風貌もバラバラで

性別すら超えて なんとも豊かな方ばかりで。
人が思う神様に近いのは

京都 宇の宇治上神社の神様くらいで。

思い込みがいかに「あまり参考にならないか」
身をもって体験していますし
思い込みがあると

神様との関わりも

あまり円滑とは言えません。

それは「相手を適切に見る」ことの妨げになてしまうからです。
家族だから。

友達だから。
夫婦だから。
それらも、その
「思い込み」が

甘えや何を言ってもいいとか
遠慮をなくしたり

礼儀を失わせるともあります。

家族だから何をしてもいい

許される
友達だからというのも

だからしてもらって当たり前

してくれるだろうなどは

相手を見ていない

認めていない

都合の良い「思い込み」です。
家族だろうが

友達ろうが

相手へ確認や意思の尊重
悪いことをしたら謝る
してくれたらありがとうなど
幼稚園でさえ教わる
「人として基本のこと」は必要なんです。

思い込みというフィルターを外すと

もっと世界は楽で

もっと広く

もっと自分も他者も認められる
生きやすい世界になります。

いま社会には

「思い込み」が溢れています。
それが「こうでなければ」や
そこから外れる存在を
「認めない」

「許さない」という風潮もあります。
しかしそれが

「自分」や

「大切な存在」を苦しめていると気づけたら

思い込みを外すだけで

もっと楽になれることも多いんです。
「母親だから」

「子供だから」

「女性だから」

「男性だから」も同じくです。

もう多種多様な
「個」の時代です。

枠やカテゴリーに括られた時代はもう

過去になっていきます。
勝ち組みとか負け組とかも

くだらない。笑と笑い飛してしまえばいい。

勝ちとか負けなんて

いつ逆転するかわからない時代
それが明日かもしれないし
今日かもしれない。
そんな世間の誰かが作った
「思い込み」という「概念」
自分で作り出した思い込みの「観念」

に縛られるよりも

結局
「自分が幸せなのかどうか」

「大切な存在を幸せにできているか」の方が大切なこと。

自分自身を
大切な存在と認められるか否かということ。
私が事前にご相談内容をお聞きしないのも

「思い込み」を生まないため。
認識されているご相談が

お聞きしたことの「本質」とは限らないからです。

表層の「これで悩んでいる」という思い込みの場合も多いからです。
人間関係で悩んでいるがその本質は親子関係や
結婚で悩んでいるがその本質は
自分に自信が持てていないなど
思い込みと、本質には「ズレ」もったりするからです。
なので「思い込み」という小さな世界や
何が正しいとか

何が間違っているなどの小さな枠でご相談者様をみることもなければ

そこに従ってくださいなどということもございません。
ただ、ありのままの自分を知り
本当の自分を知り 認め
思い込みを外し

本当の自分で生きる幸せを

歩んでいただければと願うばかりです。

本当の自分と

思い込んでいる自分は

    異なることもあるからです。

占いやスピリチュアル、 心理カウンセリング霊能などで納得 解決出来なかった方も
90%以上納得改善  

巫女  木内恵美子

メルマガではブログの更新情報をはじめ、メルマガ限定の「生きるヒントや神様のお話」もお届けしております。

 

kiuchiemiko